2007年12月27日木曜日

大久保界隈

仕事柄、大久保や新大久保へいくことが多い。

しょっちゅう行っているので、自分ではわからないが、20年ぶりに大久保に来た友人に言わせると『まるで外国』なのだそうだ。

確かに、韓国人や中国人が目につく。
看板だけ見ていると、どこの国か分からない、のは確かだ。
韓国料理や中華料理の店が建ち並び、中国人向けのネットカフェ(網巴)やハングルの看板が目に飛び込んでくる。
このあたりの店では、店頭に日本語、中国語、韓国語を併記するのが当たり前になっている。
行き交う人々の中に日本人がどれくらいの割合でいるのかも、見当も付かない。

しかし、それだけで『まるで外国』という感想が出るのではあるまい。
新宿だって、六本木だって、外国人は多い。
だが、新宿や六本木を、外国だとは意識しない。

友人が『外国』と意識したのは、街全体が醸し出す猥雑な印象が原因だと思う。
上品、と言うよりは、下品。
お洒落、と言うよりは、ヤボ。
高級、と言うよりは、低俗。
整然、と言うよりは、雑然。
セレブ、と言うよりは、プアー。
お嬢さん、と言うよりは、オネエチャン。
奥様、と言うよりは、オバチャン。
カクテル、と言うよりは、ホッピー。
..
そんな雰囲気が、大久保や新大久保にはあふれている。

そして、その『外国』は間違いなく『アジア』である。

しかし、そんな街を、僕はこよなく愛する。

2007年4月17日火曜日

雑技団の娘(その4)

月曜日は公演が休みだった。

団員たちは日本側が手配した観光コースを回って日本の休日を楽しんだ。
バス2台に分乗し名所旧跡を巡った。日帰り観光だ。

アルバイトの僕たちもバスに同乗させてもらい、若い団員とともにたっぷりと楽しんだ。
バイト代がもらえて遊べるのだから、こんないい商売はない。もっとも、公演期間は2週間。月曜日も2回しかなかったが。

団員たちにとっては、都市部の高層ビルや地下鉄(当時はまだ中国に地下鉄はなかった)、神社仏閣、すべてが目新しく、みんな子供のように目を輝かせていた。

昼食は観光地のホテルのレストランで摂った。2回とも中華料理だった。
中国人は中華料理しか食べない、と日本側の担当者が思っていたのかどうかは知らない。
当時の中国人は、北京や上海の人ですら、まだ西洋料理を食べ慣れていなかったし、一部の地域を除いて刺身のように生魚を食べる習慣はなかったから、妥当な選択だったのかもしれない。

僕自身、この前年に上海に短期間滞在したことがあったが、ある中国で一番ススンデイルはずの上海人ですら、生魚はおろかサラダ(生野菜)を食べるのを怖がっていた。もちろん上海の水が悪いため火を通していない物を食べることは、即食中毒につながったからである。

こんな風に雑技団の休日は過ぎていった。
僕は若い団員たちと一層仲良くなった。

(つづく)

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2007年3月21日水曜日

あるアフガニスタン人留学生の話

かなり古い話で恐縮だが、僕にはどうしても忘れられない一人のアフガニスタン人がいる。
1978年の秋だっただろうか。ちょうど僕が大学へ入学した年のことだ。

授業やサークル活動のない時、僕は友人たちと大学の近所にある喫茶店によくたむろしていた。
その喫茶店はその年の春、脱サラしたマスターとその奥さんがはじめたコーヒー専門店で、たまたま開店当日に顔を出した僕は、それ以来行きつけの店になり、キャンパス生活にも慣れた頃にはすっかり常連になっていた。僕にとってはいわば隠れ家的な喫茶店だった。

その日もいつものように昼からその店でウダウダと過ごしていた時、店のドアが開いて一人の背の高い外国人が入ってきた。
どこの国の人だろう?インド人か?
それが僕の彼に対する第一印象だった。
日本人より浅黒い肌、堀の深い顔、身長は185センチくらいあり、かなりのハンサムだ。その時まで外国人といえば欧米人(それもほとんどアメリカ人)くらいしか見たことがなかった僕にとって、中近東の人を見るのは初めてだった。

彼は、マスターに意外なほど流暢な日本語で「モカ」を注文した。外国人にありがちなおかしなアクセントもない。僕は再び驚いた。
その時の店は空いており、僕と彼のほかに客はいなかった。
はじめこそ驚いたものの、知ることに関しては貪欲なマスターが話しかけ、いつしか奥さん、そして僕まで一緒になって話の輪に入っていた。

それが、アリーさんだった。
アリーなんというのかは忘れてしまった。
話しているうちに、彼がアフガニスタン人で、25歳。うちの大学の経済学部の留学生だということが判った。
アフガニスタンといえば、僕にはオマー・シャリフ主演のアメリカ映画「ホースメン」を見たくらいの知識しかない。マスターたちにとっては別の惑星のような感じだったのだろう。パキスタンとイランの間にある国、と言ってもピンと来ないらしい。
僕自身もイスラム圏の人と話をする(しかも日本語で!)のは初めてだったから、最初はかなり緊張して、聞きたいことの半分も聞くことはできなかった。
三人の日本人に根掘り葉掘り聞かれてアリーさんも困惑していたはずだ。
しかし、アリーさんは僕たちの初歩的な質問にいやな顔ひとつせず親切に答えてくれた。

その後彼とは何度かその店で会い、その都度僕はアフガニスタンについての知識を深めていった。

彼は驚くほどに博識だった。元々アフガニスタンでは上流階級の出身らしい。父親は外交官で、彼自身も以前は政府に勤めていたと言った。そのおかげで、彼は外国へ行く機会が多かったという。
ダリー語(アフガニスタン語だ)とペルシャ語、アラビア語、英語、フランス語、中国語に日本語が喋れる語学の天才でもあった。
中国文学を専攻する1年生の僕からすれば信じられないくらいうらやましい話だ。

彼からアフガニスタンの歴史を教わった。
中近東の他の国と同様に、イギリスの植民地(アフガニスタンの場合は保護領)になったが、第二次大戦中に独立したこと。
ほんの数年前(1973年)に無血クーデターがあって王制から共和制になったこと。
しかし、この年(1978年)の春に軍事クーデターがあって社会主義政権になったことも。

彼の父親は中立的だったことと、外交と言う分野のスペシャリストという肩書きが物を言い、政権が変わってそれなりの立場を維持できているようだった。
彼自身も共和制の時には役人を勤めていたが、今は政府の命令で国費留学生として日本に来ている、ということだった。
だが、それ以上の政治的な話はあまりしなかった。共産政権の下では、彼の立場も磐石ではなかったのだろう。

彼はアフガニスタンのセレブだ。下宿も3LDKのマンションだと言う。
着ている服も上等なものだった。カジュアルもスーツ姿もお洒落だった。
彼は話し上手で聞いているものを飽きさせることが無かった。
ヨーロッパ風の教育を受けた彼はかなりのプレイボーイでもあった。

喫茶店の常連たちと(もちろんマスターと奥さんも一緒に)、飲みに行ったり、ボウリングに行ったりもした。その店の常連たちで催されるイベントは結構あり、新年会、歓迎会(誰の歓迎?)、花見、花火、忘年会と飲み会が多かった。アリーさんは半分くらいは参加していたように思う。

ところが1979年の冬、ソ連(当時)のアフガン侵攻が始まった。
共産政権に対する叛乱は部族やイスラム養護主義者を中心に各地方で起こっており、弱体化した政権を支援するためソ連が軍隊を侵攻させたあの事件である。

アリーさんはぷっつりと店に来なくなった。
帰国したのだとも、アメリカに亡命したのだとも、まことしやかに言われたが、真相はわからないままだ。

アリーさんはどうしているのだろう?
今も時々、彼の人懐っこい笑顔を思いだす。

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2007年3月16日金曜日

雑技団の娘(その3)

雑技団の若いメンバーにとって、今回の公演は初めての海外渡航だった。それがいきなり資本主義国の日本である。
4つの現代化政策の下、日本の映画(「君よ憤怒の河を渡れ」とか「砂の器」とか)も中国で上映されるようになり、高倉健や中野良子、山口百恵が中国人の絶大の人気を集めていた頃だ。

若い団員は日本の都会の様子に驚きながらも、日本人から馬鹿にされないようにと精一杯の様子だった。
それは若いメンバーだけでなく、雑技団の幹部連中もそうだったのかも知れない。海外に出るために着慣れない背広を身にまとい社会主義中国の代表として、日本の何を見てもそんなものには大して興味が無い、というふうを装っていたが、その実、高層ビルや地下鉄を見るときの彼らの瞳はキラキラしていた。

当時中国で最先端の都市である上海でさえも、地下鉄もないし、20階を越える高層ビルはなく、あるのは租界時代にイギリスやフランスが建てた古いビルだけであった。
自家用車は存在せず、自動車に乗っているのは幹部だけ、それも「紅旗」とか「上海」という国産車のみで、外国車はなかった。個人で所有できる乗り物は自転車だけ。それも彼らの経済感覚で言えば、自転車1台が日本人にとっての自動車1台に相当した。
だから、上海の南京路などは朝夕自転車の洪水だ。トーローリーバスも普通のバスも人であふれかえり、かの国の近代化の勢いと混沌を感じさせた。

さて、平日の休憩時間(昼寝タイム)に数名の雑技団員を連れて宿舎の隣にあった百貨店に観光(?)に行った。
団員の2名が美容院でパーマをあてたいと言い出したので、急遽僕が同行することになった。遠いところへは行けないので隣の百貨店に行くことにしたのだ。それを聞いた別の3名ほどの若いメンバーが、百貨店の中を見たい、と言ったので一緒することになった。

美容院代は当然日本側が払う。事務局に請求してもらうことになっていた。美容院に2名を置いて、僕は若いメンバーに日本のデパートの中をあれこれと案内した。
あふれる豊富な商品、おしゃれな看板、最新のファッション、身だしなみを整えた品の良い店員、着飾った客たち、彼らにとってはすべてが珍しく、羨望の対象だった。
しかし、彼らの持っている金額ではそのどれも買うことができない。さすがに日本側もそこまでの金は出せない。ただ見ているだけしかできない…。
そのときの彼らの悔しそうな顔を僕は忘れることができない。

(つづく)
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2007年3月6日火曜日

雑技団の娘(その2)

土日は昼夜2回公演だ。今回の公演は2週間なので、土日は2回あった。

土日のスケジュールは、昼間にホテルへ戻らずそのまま昼公演をやる以外は平日と同様だ。
昼食は、ホテルの中華レストランが弁当を作ってくれて会場まで届けてくれた。
当然、僕たちアルバイトもお相伴に与る。

2週間も団員と一緒にいると、自然に仲良くなってくる。
特にこの時の訪日メンバーは若い団員が中心で、年齢が近く、かつ中国語がある程度しゃべれる僕は彼らとかなり親しくなった。

聞けば、雑技団は3班で構成されているという。
常に1班が本拠地の都市で公演を行い、別の班が国内もしくは海外へ公園に出かける。そして残った班は休暇を取ったり次の公演のための準備(新しい演目の練習など)をしているという。
ちょうど宝塚歌劇団の雪・月・花・星の各組がローテーションを組んでいるようなもの、といえば分かりやすいだろう。他の地域の雑技団もおそらく同様のシステムなのだろう。

この時来日したのは、雑技学校を出たばかりの若手が半分、ベテランが半分の混成部隊だった。
雑技学校は雑技団が運営しており、中国全土の小学校から運動神経に優れた子供をスカウトして団員として養成するのだという。
このような少年少女は雑技団にスカウトされるのでなければ、スポーツ選手として育成されることが多いらしい。まさに社会主義国らしいやり方である。
もしかしたら、オリンピックで体操やその他の競技に出場していたかもしれないメンバー、それが今回の若手メンバー、であった。みな17、18歳だった。

雑技団の演目は、(中国語の名称を今すぐ思い出せない。いずれ調べてからにしよう)
皿回し、自転車のり(大人数で乗るやつ)、シーソーを使ったジャンプ技、棒やロープを腕の力だけで上っていくもの、頭の上に大きな甕を乗せるバランス技、大勢の男性が跳んだり撥ねたりの集団アクロバット…
サントリーの「アミノ式」のコマーシャルでお馴染みのアクロバットも多い。
もっとも、当時は今ほど中国の雑技団が一般的ではなく、普通の日本人にしてみれば、見慣れた日本やヨーロッパのアクロバットに比べて、その技の華麗さに吃驚したものだ。

「これじゃ、たしかにオリンピックで中国に勝てないわな」などと嘆息する人もいた。

(つづく)
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2007年3月4日日曜日

雑技団の娘(その1)

もう20年以上前になるが、中国の雑技団が日本を訪れた時、アルバイトをしたことがある。

雑技団は僕の住んでいた街で2週間ほど公演を行なうことになっていた。
僕の住んでいた市とその雑技団の本拠地のある市とは姉妹都市で、市役所が通訳や団員の世話をする係員をアルバイト採用することになっていた。
だが、当時は中国語が堪能なアルバイトなどそう簡単に集まるはずもなく、困った市役所は日中友好協会に相談、まわりまわって僕に声がかかった。
といっても、通訳ではない。また大学生だった僕の中国語などたかが知れており、結局は団員の世話係として採用された。

雑技団は幹部もいれて全部で総勢80名ほど。移動する時などはバスで2台分になる。
雑技団も日本語の通訳を2名伴っていたが、文化大革命が終了してまだそう経っていない時期である。通訳2名は日本語は上手いものの、日本に来るのが初めてということもあり、日本側の細かいニュアンスを訳せない可能性があった。
そこを考慮して日本側も2名の通訳を用意したが、総勢80名の団員の細かな世話をこなせるわけがない。そこである程度中国語の解かる人間を何名か配置することになり、僕はその一員となった。

2週間の公演期間中、土日は昼と夜の2回公演。月曜日は休演日で、他の平日は夜の部の1回公演だった。

平日のスケジュールは次のような感じだった。

05:30 起床、軽い朝食を摂る
06:00 家を出て電車で移動
07:00 雑技団が宿舎にしているホテルに出勤
07:15 ホテルの中華レストランに朝食に向かう団員に朝の挨拶
08:30 団員とともにバスに乗り、公演会場へ移動
09:00 団員は午前中、会場で入念な練習
この間、僕たちは楽屋周辺に控えていて、何か問題があれば対応する
13:00 練習の終わった団員と再びバスでホテルへ戻る
13:30 団員たちと一緒に昼食
14:30 団員たちは昼寝
僕たちはホテル内にある市役所側が用意した詰め所で待機
何かあれば対応するが、何もなければ暇なもの
17:30 団員たちとバスで会場に移動
18:00 会場に到着し、公演の準備
すでに開場しているので客が入ってくる
19:00 公演開始
21:30 公演終了
22:00 団員たちとバスでホテルへ戻る
22:30 団員たちと一緒に遅い夕食
23:30 団員におやすみの挨拶をして失礼する
24:30 帰宅

家に帰り着いた頃には日付が変わっている。風呂に入って寝るだけ。翌日も5:30起きだ。

(つづく)

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2007年2月27日火曜日

ドトールにいたタトゥー娘

僕は原宿駅前のドトールでちょっと遅めの昼食を摂っていた。
ちょうど土曜日ということもあり、原宿はどこも人であふれかえっていた。
そのドトールはワンフロアだけの小さな店で、しかし喫煙エリアが比較的広いせいか、いつも混み合っていた。

ちょうど僕の隣の席が空き、そこへ若い女がカフェラテを持ってやって来た。
背は160センチくらい。ブルーのカジュアルなジャケットに同系色のスリットの入ったスカート。ロングヘアーでCDウォークマンを聞いている。
最近はみなiPod等のシリコンオーディオが主流なので、今時CDウォークマンか、とちょっと興味をそそられる。あるいはお気に入りのCDなのかも知れない。こちらへ来る時に垣間見た彼女の顔はずいぶん幼い印象で高校生みたいだった。着ている服とはなんとなくそぐわない。

カウンターで店員がナントカサンドをお待ちのお客様、と呼んだかと思うと、隣の彼女が立ち上がって取りに行った。
手を伸ばしナントカサンドを取ろうとした時、彼女の背中が少し見えた。
ジャケットとスカートの間の20センチほどの素肌はとても白く、そしてタトゥーが彫られていた。
一瞬のことだったので何のタトゥーかは判然としないが、垣間見えたその形状は明らかに上下に伸びている。おそらく背中から尻にかけて彫られているのだろう。
俄然興味が沸いてくる。一体どんな絵柄なのだろう。

若い子の間でタトゥーが流行っているということは知っているし、僕の知り合いの何人かも腕とかおへその辺りに彫っている。東京でも多くの若者がタトゥーをしているの見ている。しかしいずれも小さなもので、この彼女ほどのタトゥーはまだ見たことがない。

日本古来の刺青ならば、以前は銭湯へ行けばその筋の人やテキヤのおじさんたちのものは見たことがある。
背中一面に彫られた見事な唐獅子牡丹も一度だけだか小学生の時に見た。
だがいずれも男のものだ。女性で刺青をしているのはその筋の姉さんに限られるだろうから、ある種のビデオ映像や写真でしか存在を知らない。女性の刺青にはかなりエロティックなイメージがある。背徳的な感じがする。
それにひきかえ、タトゥーにはそれほどのセックスアピールを感じたことがない。海外のエロビデオなんかに出演している女優などもタトゥーをしていることが多いが、そんな映像を見ても、タトゥーそのものにはあまりそそられない。

しかし、この時の彼女のタトゥーに、僕は興奮していた。
ドトールに彼女は30分ほどいただろうか。
CDを聞くのをやめて携帯でメールを打ったりしていたが、やがて長い髪を揺らして店を出て行った。
今も彼女の後姿が忘れられない。

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