2007年3月6日火曜日

雑技団の娘(その2)

土日は昼夜2回公演だ。今回の公演は2週間なので、土日は2回あった。

土日のスケジュールは、昼間にホテルへ戻らずそのまま昼公演をやる以外は平日と同様だ。
昼食は、ホテルの中華レストランが弁当を作ってくれて会場まで届けてくれた。
当然、僕たちアルバイトもお相伴に与る。

2週間も団員と一緒にいると、自然に仲良くなってくる。
特にこの時の訪日メンバーは若い団員が中心で、年齢が近く、かつ中国語がある程度しゃべれる僕は彼らとかなり親しくなった。

聞けば、雑技団は3班で構成されているという。
常に1班が本拠地の都市で公演を行い、別の班が国内もしくは海外へ公園に出かける。そして残った班は休暇を取ったり次の公演のための準備(新しい演目の練習など)をしているという。
ちょうど宝塚歌劇団の雪・月・花・星の各組がローテーションを組んでいるようなもの、といえば分かりやすいだろう。他の地域の雑技団もおそらく同様のシステムなのだろう。

この時来日したのは、雑技学校を出たばかりの若手が半分、ベテランが半分の混成部隊だった。
雑技学校は雑技団が運営しており、中国全土の小学校から運動神経に優れた子供をスカウトして団員として養成するのだという。
このような少年少女は雑技団にスカウトされるのでなければ、スポーツ選手として育成されることが多いらしい。まさに社会主義国らしいやり方である。
もしかしたら、オリンピックで体操やその他の競技に出場していたかもしれないメンバー、それが今回の若手メンバー、であった。みな17、18歳だった。

雑技団の演目は、(中国語の名称を今すぐ思い出せない。いずれ調べてからにしよう)
皿回し、自転車のり(大人数で乗るやつ)、シーソーを使ったジャンプ技、棒やロープを腕の力だけで上っていくもの、頭の上に大きな甕を乗せるバランス技、大勢の男性が跳んだり撥ねたりの集団アクロバット…
サントリーの「アミノ式」のコマーシャルでお馴染みのアクロバットも多い。
もっとも、当時は今ほど中国の雑技団が一般的ではなく、普通の日本人にしてみれば、見慣れた日本やヨーロッパのアクロバットに比べて、その技の華麗さに吃驚したものだ。

「これじゃ、たしかにオリンピックで中国に勝てないわな」などと嘆息する人もいた。

(つづく)
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